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 多摩ハワイアンズ結成 第34回まつりインハワイに参加
    まつりは、2013年6月7日〜9日(演奏は7,8日) ワイキキにて     
                                            tomimoto記



多摩ハワイアン連盟のハワイ遠征。とい うと大袈裟ですが、連盟のバンド2つ(ナレオアイランダースとヒノハワイアンズ)メンバー有志の7人で編成した「多摩ハワイアンズ」の、ハワイ・ホノルル での演奏と踊りのステージ報告です。
この写真だけは、クリックすると拡大精細写真となります。

ホノルル空港 に着いた一行です。赤いアロハ姿が私です。これから起きるドタバタ騒動を知る由もない私たち。このページは演奏に関する報告のみですが、ドタバタ大騒ぎと 大笑いの旅行記として、別なページで書く予定です。行方知れず・行方不明が続出しました。既に、羽田空港でヒノハワイアンズmihoの行方不明事件で大騒 ぎが起きていました。これが行方不明事件の第一弾で、毎日のようになにかしら(人物とは限らない)行方知れずが起きました。
遠くに「カイルア・ビーチ」「ラニカ イ・ビーチ」が見える「ヌウアヌ・パリ」の展望台で、私の隣にいる毛むくじゃらの顔。私は、この時点で黒い悪魔に魅入られているようです。前途多難が予 想されます。
実は、風が強くて有名な断崖(がけ)で、風速100m/秒を観測したことがあるそうです。自殺も多く、飛び降りたけれど100m/sの風で、吹き戻されて し まうなどの、ジョークがあるそうです。風の被害をまともに受けた妻のこわーい姿でした。


私は、2年半ぶりのハワイです。これまでは、他の島へ行き、途中でオアフ島に寄る行程だったので、オアフ島、しかもワイキキ に6泊 す るのは初めての経験です。
初めて「まつりインハワイ」というイベントに参加することになりました。
ヒノハワイアンズとナレオアイランダースのメンバーから希望者を募り、混成バンド「多摩ハワイアンズ」として参加することになりました。写真は「まつり」 が 行われるカラカウア大通り。既に、通行止めとなっています。

祭り初日の7日。私たち「多摩ハワイアンズ」のステージはカラカウア大通りに設置された7ヶ所のステージでは一番奥になる (アラモアナセンター方面)場所にあります。ロイヤルハワインセンター前となります。ロイヤルハワイアンセンターは工事中で使用できません。
会場に急いで 向かうnakazawaの姿が見えます。急いでも意味がないことが後で分かります。

私たちが会場に着いた時、ステージはまだ出来上がっていませんでした。足場となる骨組みは組まれて いましたが、床板が張られていませんでした。7ヶ所あるステージを一つのグループ(業者)が、一ヶ所ずつ仕上げているようでした。セッティングはおろか、 楽器も出せない状況でした。やっと床板が敷かれ、配線などを行ってていますが、開演時間は過ぎています。ゆったりとした時間が流れるハワイタイムで進行し て いきます。フラを踊る床に配線がむき出しです。テープで覆って貰いましたが、つまずかないか心配です。


同行した「フラスタジオ・マカレア」の場当たりの最中です。ケーブルをテープで覆う作業が進行中ですが、みんな心配そうで す。
音響チェック です。スチールギターとウクレレを同じDI(ダイレクト・イン)で使うため、切り替えスイッチ機能を持ったエフェクターのチェックをしている私です。
ギターアンプは使いませんので、現地のミキサーの腕が頼りなのに、素人に毛が生えている程度の音響技術屋でした。カラカウア大通り7ヶ所以外、別な会場も 多いので、 技術者不足だったのでしょう。

開始時間は午後7時の予定でした。司会が、やっと演奏の開始を伝えています。約1時間遅れです。この後の出演者も遅延での演 技に、あきらめ顔 です。
音響テストも「こんなんで大丈夫かいな?」でスタートしました。


スタート曲は、バッキー白方作曲の「ホノルル娘」。もちろん日本語で、ナレオアイランダースのkawaiが歌いました。 「ボー カル・マイクの音量バランスが良くなかった」と、聴いていた我が妻の感想でした。
これは、次に演奏した「ケ・アロハ」を「マカレア」のみなさんが踊っているときの写真だと思います。
このステージを偶然見た日本の旅行客が、「日本のハワイアンバンドが演奏している」と写メを送りました。送られた人は、今回、参加していない(日本にい る)ヒノ ハワイアンズのgothoです。写真を見て、「知っている顔が並んでいる」と思ったそうです。

歌っているのは、この「フラスタジオ・マカレア」を主宰しているヒノハワイアンズのtachikawaです。「マカレア」 は、参加団体の一つとして独自にステージを設けて踊ります。「多摩ハワイアンズ」のステージでも各2曲、計6曲踊ります。CD演奏による独自のステージも 含め、たくさん踊って、大満足のハワイツアーだったのではな いでしょうか。


ここでカメラを構えているのは、私の娘(長女)です。今、動画を撮っている最中です。三脚なしで動画を撮り続けるのはきつい 作業です。今回、父親のステージの写真や動画を撮る手伝いを前提に同行させました。「お父さんの写真を撮るために付いていってあげる」と言っていました。 旅費・お小遣いは、当然のように親の負担です。
ただでさえ、日本人が多いハワイ・ホノルル。まつりに参加する団体と、その付き添いや見学客で日本の都市のような錯覚さえし ます。フラの団体、和太鼓や日本舞踊の参加者などが多く、ハワイアンバンドは私たちだけです。ハワイアンではないバンドの参加も一団体だけありました。
ベース弾きの参加が得られず、ギターのkawaiとnakazawaが交代で弾いたり、マッシーがキーボードでベース音を出 すなどの工夫をしました。
写真では、ナレオのマッシーが歌っているようです。「Take Me Home, Country Roads(カントリー・ロード)」を熱唱している時だと思います。この曲は、他のステージで演奏したときも、観客が手拍子で合わせてくれました。特に、 米国本土系のお客さんに受けたようです。ハワイアンだけでない選曲をして工夫しました。


次の演奏曲は「Out on The Beach at Waikiki」。ヒノハワイアンズtamamotoが歌っています。だいぶ暗くなってきました。あちこちの会場・ステージは大変な賑わいで、佳境に入っ ている時間でしょうが、このステージでは、最初の催しがまだ終わっていません。
「レイ・プア・ケニケニ」を歌うヒノハワイアンズのmiho。この歌は、ナレオのmieも歌いたがっていましたが、念願叶っ て、本場ハワイで披露することができました。このハワイツアーで、一番活躍したのはmihoです。二日間の演奏日以外、観光の計画は全て彼女が中心となっ て決めました。そしてガイドも兼ねていました。市内バスでも運転手のそばに立ち、到着予定時間やどこで降りると便利か、そこからどう行くのかを尋ね、それ を、遠慮もせずに座っている私たちに伝える役を果たしていました。さすがアメリカの大学卒業生です。
ヒノハワイアンズnakazawaが歌っているようなので、「ラハイナ・ルナ」の演奏中だと思いますが、順番からもそのはず です。しかし、踊り手がうつっていません。ベースが置いてあるので、マッシーがキーボードでベース音を出しています。荷物になるので小さなキーボードを 持って行 きましたが、しっかりしたベース音がでます。kawaiは、分解組み立てが可能で小さく収納出来るサイレントギターを弾いています。私も、軽くて小さい、 ラップトップスチールギターを使用。かさばって重いのはnakazawaのギターです。


これは間違いなく「ラハイナ・ルナ」を演奏中の写真です。「フラスタジオ・マカレア」が踊っています。昔から演奏されているハ パ・ハオレソングで英語歌詞の「ラハイナ・ルナ」です。
最後の曲は「ソーラン節」。この演奏が終わって、バンドリーダーのインタビューということで司会者の質問に答えている私です。
少々、不完全燃焼のステージでした。音響テストが不充分で慌ててスタートしたことが悔やまれます。

翌日、朝食に出かけるバンド関係者です。しっかり食べて今日は完璧な演奏を期しています。ヒノハワイアンズtachikawa はフラの人たちと行動を共にしているので、ここにはいません。


祭りの二日 目。この日は2ステージを務めます。場所は「ワイキキ・ビーチ・ウォーク・プラザ」。カラカウア大通りを横に入ります。もう少し行くと「ハレクラニ・ホテ ル」や「アウトリガー・リーフ」があります。
12時35分スタートです。時間通りに始まりました。二人の司会者がバンドの紹介を始めました。「東京の日野から来ました。日野は日野自動車の町です。水 のきれいな清流の町です」と紹介していました。

「Mollie Darling(モーリーダーリン)」でスタート。nakazawaのカントリー調のファルセットが聴かせます。
スチールギターもカントリー風に、三度の和音をボリューム奏法で弾きました。私のチューニングは短三度、調三度と切り替えながら連続でメロディーが弾きや すいので、このような曲は得意です。しかし、一度迷うとえらいことになるチューニングです。

「フラスタ ジオ・マカレア」の踊りが加わりました。大橋節夫の「赤いレイ」。日本のハワイアン曲も取り上げて、現地の日系人にも喜んで貰えるような選曲です。これも 日本語でkawaiが歌いました。
今日は、昨日と違い、音響担当のスタッフがベテランだと、用意をしている段階の様子で分かりました。


多分、 mihoが歌う「アレコキ」の演奏中でしょう。昨日の反省から、司会が前もって全演奏曲を紹介しても、演奏の度に曲名を言うことにしました。演奏準備中の 間を取るためにも必要でした。mihoが得意の英語でMCを入れました。
「フラスタジオ・マカレア」は、2曲目として、初日と同じ「ケ・アロハ」を踊りました。観客のカップルが人目もはばからず 「チュー」とやっているので載せました。ご挨拶なのでしょうか。素晴らしい演奏・踊りに感動して、連れてきてくれた彼氏(彼女)への感謝の行動なのでしょ うか?

マッシーが 「カマラニ・オ・ケアウカハ」を歌いました。マッシーが歌うときは、ベースをkawaiかnakazawaが弾きます。この曲は、元にした演奏が、ウクレ レのオブリガードが忙しいバージョンで、昨年、横浜で演奏して評判の良かった曲です。マッシーが得意とするスローバラード風のフラ曲です。


8日、1回 目のステージ。最後の曲は「東京音頭」。ウクレレを三味線風の音で弾きました。この曲もお客さんが手拍子で応じてくれました。
私たちは、この2ステージ後に行われた「フラスタジオ・マカレア」の踊りを見て、いったんホテルに帰ったり、食事をしたりして夕方のステージに備えまし た。

我々バンドの今回最後のステージが始まります。「まつり」は三日間ですが、観光の時間を取りたくて、二日間で予定の3ステー ジを終えることにしました。午後6時55分のスタートです。少し暗く なって、灯りが目立つようになってきました。昼間よりもお客さんの数が増えたようです。
MCのこの 方は、日本語を話すのは苦手のようですが、こちらが話す日本語は理解できます。再び、日野の紹介をしながら「日野は 他に紹介するものがあるか?」と聞くので、「新選組の故郷だ」と応えました。新選組は「????」のようでした。



tamamoto が歌う「カ・ノホナ・ピリ・カイ」でスタート。踊りの入らないフラ曲は、緊張します。


昼間は陽が照りつけて暑かった野外のステージ。夕方になって涼しくなりました。雨が降りそうですが(少しパラパラときました が)、テント内のステージなのでいくらか安心です。
昼間も演奏 した「赤いレイ」の演奏開始の時ではないでしょうか。私がスチールギターを弾きそうな感じではないので、miihoが「日本のハワイアン。大橋節夫の作 品」と、曲を紹介している最中でしょう。


用意された イスだけではなく地べたに直接腰掛けている人もいます。
今回の「まつり イン ハワイ」の話しが最初に出たときは「アラモアナ・センター」か「ロイヤルハワイアン・センター」での演奏だったのですが、どちらも工事改装中で、残念な思 いです。

「マカレア」の2曲目かと思いましたが、フリを見るとまさしく「椰子の葉、ゆれてーる」のようです。まだ「赤いレイ」が続い ているようです。
右端のマッ シーが立って歌っているので、昨夜に続き「Take Me Home, Country Roads(カントリー・ロード)」を歌っているときでしょう。今日は、音響も良く、現地の人やアメリカ系の人からも喝采を浴びました。


「フラスタ ジオ・マカレア」の踊る「パパリナ・ラヒラヒ」が演奏されましたが、写真はその後の「Mollie Darling(モーリーダーリン)」を演奏している場面だと思われます。フラ・ハワイアンでない曲がこんなに受けるとは予想しませんでした。
「ソーラン節」や「東京音頭」は、きっと受けるだろうとの狙いで演奏しました。


手を叩いているのは演奏に対する拍手ではなく、手拍子の時のようです。手前に写っている人たちの何人かが、スチールギターを 抱えて引き上げようとする私に寄ってきて「スチールギター、スチールギター」と騒いでいました。MCの方も「スチールギターが聴けるのがうれしい」と紹介 していたので、 ハワイでもスチールギターを聞く機会が減っているのを感じます。
予定されて いた私たちバンドの演奏は全て終わりました。「フラスタジオ・マカレア」は、すぐ、クヒオ・ビーチに移動して、フラ・フェスティバルに参加しました。
このステージは、フラを踊る人たちの憧れの場所で、ここで踊ることは、ステータスになっています。観客の収容数もワイキキビーチ・ウォークより多く、後ろ 側にも、観客がいますす。


4,5年前 に私の妻が、このクヒオベイで踊れるからとツアーに参加したものの、ハーラウの都合で踊れなくなって、がっかりして帰ってきたことがあります。その時は、 ベテランダンサーのドレスが揃わなくて、貸すことになって踊れなくなったのです。
マカレアのみなさんが踊っているのを見て、羨ましがっていました。踊りも見事だったので、満足な様子が伝わってきました。

この日、踊ったハーラウは、それぞれ賞を受けていました。ピッタリのネーミングの賞でしたが、「フラスタジオ・マカレア」 が頂いた賞の名前は忘れました。表彰を受けて戻る立川先生です。立川先生の真後ろにいる方は、八王子のフラの先生「大滝先生」です。私は、何回かバックバ ンドを務めたことがあります。この後、先生に声をかけたら「びっくりしたー」と言われましたが、私は先生のハーラウが参加することを事前に知っていまし た。
表彰式・寸 評が済んで、フラフェスティバルが終了しました。みんなで「ハワイ・アロハ」を斉唱しました。右に多摩ハワイアンズ・メンバーの姿が見えます。


自分たちの 演奏が終わった翌日からは、本場のライブショーを見聞きしながら食事を楽しみました。まつり最終日の6月9日には、パレードがありましたが、バンドメン バーはオアフ観光に出かけました。「マカレア」はパレードに参加。従って、バンドメンバーのtachikawaとは別行動。
写真は、「アウトリガー・リーフ・ビーチ」のレストラン「カニ・カ・ピラ」でのライブです。

食事とお酒。そしてライブも一緒に楽しむ。ハワイの夜を満喫する最良の選択肢です。自分たちの演奏を終え、リラックスしてい るバンドとその関係者です。
これは10 日の「ホテル・ハレクラニ」のライブショーです。ハレクラニに宿泊したことはありませんが、ここのライブには欠かさず来ています。
しばらくすると、沖にナイト・クルージングの船が見えましたが、マカレアのみなさん(ヒノハワイアンズtachikawaも含め)が、乗っているはずで す。


まだ陽が 残っているハレクラニの庭園。臨時編成の多摩ハワイアンズのメンバーと家族です。私の長女が撮影した写真です。
再び、「アウトリガー・リーフ・ビーチ」のレストラン「カニ・カ・ピラ」です。11日には「ウェルドン・ケカウオハ」の ショーがあるということで、今回、いの一番で予約しました。二日前にも確認したのに、直前になって「ウェルドン」は日本に出かけたことが分かりました。現 地では「誰が出ようが同じだろう」の感覚です。みんな、がっかりしたのですが、急遽変更になったミュージシャンが、クウイポ・クムカヒを中心としたメン バーだったので、むしろ「ラッキー」と喜びました。
今日はバン ドのメンバーと合流したtachikawa。クウイポ・クムカヒさんは、彼女のフラの先生の先生。すなわち孫弟子にあたります。ウェルドンでなくてがっか りしていたのがウソのようで、踊りに参加しました。お客さんの中には、演奏者達とカメハメハ・スクールで同窓だった人がたくさん来ていて、バンドのジョー クに大いに喜んでいました。仲間内でしか分からない話が多かったのに、私たちもなぜかうれしくなりました。奥で踊っている女性もカメハメハ・スクールの仲 間です。


私たちが演 奏した「ワイキキ・ビーチ・ウォーク・プラザ」では、毎日地元のミュージシャンの演奏が行われていました。
イスもないのに、芝の上で座り込んで聴く観客。無料で一流の演奏が楽しめるなんて、贅沢な時間が流れるハワイです。
今回、参加 した多摩ハワイアン連盟のバンドとフラ。全員で記念撮影。バンド7名。バンドの家族3名。フラは8名。総勢18人となりました(マカレア主宰の立川先生は バンドの方で数えました)。
宿泊したのはパシフィックビーチホテル。私は初めて利用しました。水族館レストランでライブを楽しんだことがあるのと、ウクレレショップ「PUAPUA」 を利用していました(今は移転しています)。高級ホテルではないもののサービスは行き届いていました。